イッシーさんのブログ

サラリーマン俳優兼落語家の「演じること」を模索する日々の独り言

演じる事へのアドバイス(その二)

いつ読み返しても、その時の自分に、成りたい自分への道標と進み続ける勇気をくれる。そんな言葉のその二。

=========

別に遠慮することはないです。
両日とも、昼間仕事してて、夜は稽古場抱えてるんで、かなりタイトなんだけど、
両日とも、夕方7時以降ならなんとかしますが・・・・

ついでがあるのかな、それともわざわざ来るのかな、ただし、気休めにしかならんとも思うんだけどね・・・

だって、なんとなくの方向性が出てるんだったら、最後まで自分でやったほうがいいし、抜本的な切開が必要だとおもってるんだったら1時間くらいじゃどうにもならんし、それに、僕的には、今さら新しく渡せることなんかないもん。
芝居造りに必要なことは今までくどく渡してきたつもりだし・・

君が、問われているのは自分なりの方法論なんだよね。

創造の現場があって、他者や、僕を物差しや鏡にしながら、それぞれで芝居立ち上げる為の自分なりの方法論を見つけていくわけで・・

マニュアルじゃないよ、ある種の感覚。どういう風に自分を追い込んで、どういう手続きで、芝居が作れる状態に身体と心を持って行って、今の自分の状態がどの段階にあるかを掌握して・・って言った類の様々なことなんだけどね、Kちゃんにしろ、Dにしろ、Sちゃんにしろ、不完全ではあるけど、みんな自分なりの方法論を持ってるんだな。だから芝居が作れるわけで。

で、これは不安定で、不確かなものだから、自分の感覚と、他者の指摘との間で揺れながら、時には見失ったりしながら、稽古場で常に修正していかなきゃならないものでもあるんだな・・・

だから芝居は他者が必要なんだよね。


一度創って、そこそこ評価された作品を、再現するにのは、そんな簡単じゃないよ。
前のメールでも至難の業だって書いたんだけど、自分なりの方法論を持ってないとできないんだもん。

君は、そこそこうまくいった芝居でも、その方法論を獲得する作業を怠って何も学んでないってことだよね。目先の評価だけを追い求めて

それに、上手くいかなかった芝居でも、なんも学んでないってことだよね。上手くいかなかったときこそチャンスで、むしろ、こっちのほうがより多くを学べるんだけどね・・・

あるのは、うまくいった、(評価された)うまくいかなかった(評価されなかった)っていう結果の記憶だけだもん。そんなもん何の意味もない。

これからも。芝居やっていたとして、うまくいくことも、うまくいかないことも、いっぱいある・・・・芝居に限らずだけど・・・

現段階で、作品のクオリティに不安があるのなら、新作をやれば、新鮮さ、うろ覚えの緊張感、うまくいくかどうかの不安、追い詰めらたときのくそ度胸、ってのが、そのまま一種の即興性として作品に出るから、所見で見た、「子別れ」「一文笛」程度のものは出来るでしょう。腹くくって、あえて、そこから始めるってのもありだよ。
十分間に合うよ。あれだってそんなに時間かけて創ったわけじゃないし。

ただし、よしんば、そこそこうまくいっても、それは一種の気分なんだから、気分じゃ芝居は作れないよ。

他者と、繰り返し、繰り返し、時間を重ねて、キャッチボールしながら、練り上げて、掘り下げていく作業が芝居なんだから・・・方法論持ってなきゃ、方法論を探る意識がなきゃ、すぐに飽きるし、すぐにやることなくなっちゃうもん。「表り出ろい」の君を踏まえて。

新作じゃなくて、そこそこうまく言った作品をやれって言った意味は、そのあたりにあるんだけどね・・・それに、本来は、人から言われる前に、君が自分で導き出さなきゃならないことでもあるんだよね。

で、たぶん、Kちゃんにしろ、Dにしろ、S子にしろ、もし彼らだったら、僕の意図は理解すると思うけど・・・

わかんなきゃうのみにしないで、腹に落ちるまで。食い下がって聞かなきゃ・・・それが芝居づくりだもん。

試演会はどうしたの?彼らは十分に君が方法論を探るときの、物差しや、鏡になるとおもうけど・・

いたずらに目先の評価を追い求めてもしょうがないんじゃないの。
君に必要なのは、自分の方法論を自分でつかむことなんだもん、


僕の場所に特効薬はないよ。基本自分で探すしかない。

もろもろ再考してみてください。

=========