その次のために
私は今の生のわたしのために生きるのではない
なぜなら、今の生のわたしはあと50年もすれば
跡形もないから
私のこの人生は、わたしに内在する普遍のためのもの
だから、自らに、この生の持つ湧き上がる普遍に耳を傾け、そのためにこの命を燃やさなくてはいけない
それは永遠に生き続ける本来の命
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なぜ軋轢を避けるのか?
なぜ傷つく事をそこまで恐れるのか?
それは、それを越えてまで
手に入れたいモノがないから。
それに見合う感動と共感を得た事がないから。
今、知るべきは自分の感情が求める事を知り、
それを満たしてあげる事。
そうすれば、
全ての停滞と、全ての偏りは
快方へ向かう。
融解作用からは満たされない
忖度をして気に入られる事をする。便利には思ってもらえるだろうが、本心は理解されない。本心を隠しているのだから当然だが。
人を満たす第一法則である共感。そのベースは出来ない。自分の中にも。
便利なうちは可愛がってもらえるかもしれないが、立場が変われば捨てられる。気付けば自分の中にも、周りにも満たしてくれるものは無くなる。
私はなくてあるのは場
全ては加害と被害は簡単に入れ替わる。一つの現象とすれば区別はないよね。だから、全ては実は場の問題。だから、皆に影響するんだよね。それを理解して受け入れて生きる事は大事。どこまで自分を捨てて、自分とは場であると捉えて、場ごと解決すべきの問題と捉えられるかって事が大事だよね。自分を自分でなく場こそが自分と言うスタンスを持つことが必要かな。
刃物とともに
言葉は刃物である。上手く使えれば驚くほど重宝するが、少しでも注意を怠れば、あらゆるものを傷つける。しかし、使わないわけには行かない。
幸せを噛み締めて締め括る死の為に生きる
人は他人を扱うように自分を扱う。
幸せに死ぬには、人を幸せに死なせなくてはいけない。
演劇をやって終わる事を沢山経験出来た。
一つの座組みの芝居の終わりは、その世界で死ぬ事。良い芝居こそ、良い座組みこそ、そのロスは大きい。
でも、終わる時には何とも言えない幸せを感じる。仲間の顔を見る度に、言葉を交わす度に、幸せな気分になる。終わりになればなるほど。
人生もそうでなくてはいけない。
その為には終わりを理解して、それに向かい整える事が必要。
辿り着く起点への意識とその道程を大切にして。