こんな時だから、老いと病から前向きな事を考える
老いや病によってやれる事が減り自己承認感が細る。
そういう姿を見ると、どう老いるべきかと考える。
人は感情を満たす為に生きている。でも、それは人との関わりが無いと満たされない。人は人を犠牲にしては生き続けられない。正論や綺麗事ではなく、それは自然の摂理。循環がない事物から、この世は生をはぎ取って行く。これが人知を越えたルール。
満たす感情と満たす感情が関わり合う事で平和という奇跡が実現する。この為には、満たす感情なのか、生理が駆り立ててるのか、社会性に浸かっているのか、感情を区別するスキルを身につける必要がある。また、平和(循環)を支えている主役が、満たす感情ではなく、後者達になると、平和は驚くほどすぐに消え去る。感情に留める習慣は身につくが、人は知識と立場を土台にした習慣を簡単に捨てる。
どう老いて行くべきか、つまり、どう死んで行くべきか?その自分の頭の思索とそれを確かめる体験が、都合と満たす事の分別力を育てる。そして、満たす感情を求め、それを探す行動を起こし続ける。その人の営みが平和と言う奇跡を支える。
「こういう時って、文化とかスポーツとかから無くなるもんだよね」
健全な感情こそが、この平和を支えている事を今こそ、もっともっと謳歌する私は肝に銘じるべきだ。